お兄ちゃんには夢も希望も無いね(嘲)

【画】

『混乱』



【曲】

『豚と鳥の記憶』

http://voon.jp/a/cast/?id=m6f1zftbuteggfh9&c=3&t=1


 *


”統計”についての講義を受けた。

各所に前期で学んだ微積分が使われており、
概念上の公式が、現実に応用されている事を知り、
抽象と事実が頭の中で結びつき、いろいろ納得に至った。

また、エクセルで実習しつつ、
管理図による品質管理など、実際の仕事にも使える事を知る。


お隣の方がパソコン操作や計算で戸惑っていらしたので、
知っている限り教えたり出来る限り手伝ったりしたけれど、
やり方が拙いので、逆に迷惑だったかも知れない、と、後で思った。



校舎の廊下の真ん中で丸まっていた、てのひら大もあるその幼虫、
体表面はサラサラしていて若竹色、黄色の短い触角があり、先端が黒かった。
感触は水風船のよう、掴むと体を一回だけ仰け反らせ、指の間でそのまま固まっていた。
人に踏まれては危ないので、窓の外に運んで、置いたら、
今一度寝返りを打って、そのままだった。


 *


J. クリシュナムルティ『子供たちとの対話』を読み終わりました。

それで、思い出しました。忘れていた事。

”自己矛盾”のクダリで、「画家になりたい若者」の話が出されていて、
それは正に僕が「生を捨てた瞬間」と同じでした。

現在の僕は(Kが言うところ)の没個人な労働者、
「凡庸で、歪んだ、つまらない、卑小で、愚劣な、退屈で、腐敗した、矛盾を抱えた、死んだ人間」です。

僕は、何も持っていない、という事を自覚しています。
知識や技術や芸術的感性を予め持っている人、
部活や大会やネット等で評価されている人、
親やパトロンが学費や生活費を出してくれる人、
有名人や関係筋とコネクションを持つ人、
話し合ったり手助けしてくれる友を持つ人、
彼ら彼女ら、あなた方は、恵まれていて、豊かで、富める者で、
きっと放って置いても成功します。
自分は、そうではないです。
今までは、不遇に対して妬み嫉みやっかみが有りましたが、
しかし、それらは僕に何も齎さない、と今は分かります。
同時に、
センスも才能も無い、後ろ盾も無い、頼れる知り合いや友だちも居ない、
そういった自分が全て一人でやらなければいけない場合、
物事を始めるには資本金や生産設備が、仕事を始めるにはノウハウや市場が、
資本主義経済の中で生計を立てるには様々な準備が必要だという事、
それらを誰の協力もなしに行うには様々な障壁がある、という事を、知っています。

僕は恐らく成功しませんが、
その時の行為だけがあるようにすれば、恐れる事もない、
と、今は頭だけで分かっています。
その時に大事なのは、失敗を失敗と見る事です。

幾つかの諸事情から、今すぐ仕事を辞めて、という訳にはいきませんが、
期を観て、その時に向けて、計画しておく必要があります。

どういう道があるか。何か。
絵画も、音楽も、文章も、駄目だったけれど、何か、作りたい。

それまで、僕は、凡庸で、歪んだ、つまらない、卑小で、愚劣な、
退屈で、腐敗した、矛盾を抱えた、死んだ人間であり続けます。

また、自分は引き続き、可能性の有る人には手を貸し励ます必要を感じます。
これまで出会ってきた人のように、嘲ったり、潰したり、嗜めたり、怒ったりするのは、
あまりに非建設的、非生産的、非創造的だからです。

良い悪い、早い遅い、安易にそういう評価や判断もせず、
何故そうあるのか、という疑問を絶やさず、
瞬間瞬間に見出し、理解し、自覚していく必要があります。
なのに、すぐ曇る、忘れる、だらがしない。